【結婚=自由?】挑戦するために“最小限の安心感”としての結婚を選ぶという考え方

最小限の安心感としての“結婚”という選択肢

「結婚って、必要なの?」最近よく耳にする疑問です。

実際、今の時代は結婚をしなくても当たり前に生きていけるし、むしろ独身であることの自由さを楽しんでいる人もたくさんいます。結婚に縛られたくない、責任を背負いたくない、誰かに人生を左右されたくない――そんな声ももっともです。僕自身も「結婚なんてただの契約じゃん。大して意味がない」そう思っていた時期がありました。

でも今は少し違う考えを持っています。それは「最小限の安心感」としての結婚って、実はものすごくアリなんじゃないか?と。

「頑張れる理由」があるということ

「子供がいるから頑張れる」よく聞く言葉ですよね。僕も最初は「本当にそうかな?」とちょっと懐疑的でした。でも実際に結婚して、家庭を持ってみてわかったことがあります。

確かに、子供や妻の存在が“頑張る理由”になるっていうのは本当です。ただ、僕が感じているのは少し違っていて、「頑張れる」というより「挑戦できる」という感覚のほうが近いかもしれません。

どういうことかというと、家族という“安心できる場所”があるからこそ、不安定な未来にも踏み出せるようになるんです。僕の背中を押してくれるのは、むしろ“守らなきゃ”という責任感ではなく、“ここに戻れる”という安心感なんですよね。

安心しすぎると成長できない。でも、安心がなければ成長できない。

人って面白い生き物で、安心感を求める一方で、安心しすぎると成長を止めてしまうところがあると思います。
ぬるま湯に浸かってしまえば、それ以上前に進もうとはしなくなる。

だけど、まったく安心感がない状態――誰にも頼れず、何の保証もなく、常に不安の中にいる状態――では、人は恐怖で動けなくなってしまいます。挑戦どころか、現状維持すら難しいかもしれません。

じゃあ、その矛盾をどうやって解決するのか。

そこで僕がたどり着いた答えが、「最小限の安心感」です。

結婚は“最小限の安心感”をくれるもの

家を買うとか、貯金をしっかりするとか、安定した会社に勤めるとか、人生にはいろんな「安心」の形があります。でも、それらはある意味“最大限の安心”を目指しているものです。

一方で、結婚って、もっとシンプルな安心感をくれるんです。
「どんな状況になっても、帰る場所がある」
「失敗しても、一緒にいてくれる人がいる」

それって、言ってみれば“最小限”の安心感かもしれません。だけど、その最小限があるだけで、人はとんでもない挑戦ができたりする

僕自身、独身の頃はどこかで「失敗したら終わり」という感覚があって、大きなリスクは取れませんでした。でも今は違います。家庭という小さな、でもとても大きな安全地帯があるおかげで、むしろリスクを取れるようになった。

矛盾してるようだけど、すごく自然なことだと思います。

“安心感”の使い方を間違えない

安心感を「ゴール」にしてしまうと、そこで止まってしまいます。

「この会社に入れば一生安泰」
「この金額の貯金があれば安心」

たしかにそうかもしれないけれど、それって、成長を止めてしまう可能性もある。でも、「安心感はスタート地点」だと考えれば、まったく違う景色が見えてきます。

安心があるからこそ、一歩踏み出せる。安心があるからこそ、失敗を恐れずに進める。そんなふうに“安心感をエネルギーに変える”生き方って、結構おもろいんじゃないかと思うんです。

最小限の安心感が、最大限の自由をくれる

「自由でいたいから結婚しない」という考えもわかります。でも、僕はむしろ逆だと思っていて――最小限の安心感があるからこそ、最大限の自由が得られるんじゃないかなって。

パートナーがいて、家庭があって、そこに信頼がある。それだけで、未来に対する不安がちょっと和らぐ。だから、少し無茶もできるし、新しいことにも飛び込める。

「結婚=安定」じゃなくて、「結婚=自由の土台」と捉えれば、きっと今よりもっと自由に、もっと面白い人生を選べる気がします。

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